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【動画】戦後80年 終戦の日の千鳥ケ淵戦没墓苑=友永翔大撮影

 8月15日は、戦後80年の終戦の日。日本社会から戦争の記憶が遠ざかる一方、世界中で戦火は絶えず、多くの人が毎日のように犠牲になっています。いま、何を思い、平和を願うのか。各地の営みを伝えます。

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■■靖国神社で、千鳥ケ淵で■■

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靖国神社で黙禱(もくとう)する参拝者ら=2025年8月15日正午、東京都千代田区、金居達朗撮影

10:35

高市氏「哀悼の誠を捧げた」

 自民党の高市早苗前経済安全保障相が東京・九段北の靖国神社に参拝した。高市氏は参拝後、記者団に「たくさんの方が国策に殉じられた。尊崇の念をもって哀悼の誠を捧げた」と述べた。

 参拝が中国や韓国の反発を招く可能性について問われると、「それぞれの国のために殉じられた方の慰霊というものは、それぞれの個人が自らの心に従って行うものだ」と強調した。

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靖国神社を参拝し取材に応じる高市早苗氏=2025年8月15日午前10時47分、東京都千代田区、金居達朗撮影

10:30

兄を失った男性「戦争だけはあっちゃならない」

 早朝から参拝者の長い列が続く東京・九段の靖国神社。横浜市の望月直行さん(81)は「どうか安らかに」と手を合わせた。

 学徒出陣した兄は、乗っていた駆逐艦が撃沈され、フィリピンで亡くなった。遺骨はいまも戻っていない。終戦時に1歳だった望月さんにとって、兄の姿は遺影や写真でしか知ることができないという。

 病気を患い、この5年ほど靖国神社を訪れることができなかったが、「戦後80年の節目だから」と妻に付き添ってもらい参拝した。「戦争だけはあっちゃならないのに自国ファーストのエゴが広がり、世界で戦渦が広がっている。ニュースをみながらむなしさが募ります」と話した。

10:20

参政党、88人で集団参拝

 参政党の神谷宗幣代表は、党所属国会議員らと靖国神社を集団参拝した。神谷氏は自らのX(旧ツイッター)に国会議員18人全員と地方議員70人の計88人で参拝したと書き込んだ。

 この日、同党は「祖国と家族を護(まも)るため、尊き命を捧げ、散華された英霊の御霊(みたま)に対し、私たちは心から哀悼と感謝の誠を捧げます」とする終戦80年の談話も発表した。

10:15

平和考える若者企画のイベント

 戦争の記憶をめぐり様々な立場を持つ人がいることに触れ、平和について考えるきっかけにしてもらいたいと、国内外の社会課題に関する啓発教育に取り組むNPO法人「Wake Up Japan」のメンバーの20~30代の会社員や学生が、終戦の日の千鳥ケ淵戦没者墓苑や周辺を歩くイベントを開いた。

 この日は日本のほか、アジア各国などの学生や会社員など約20人が参加した。ミャンマー出身で、東京都内の大学の博士課程で政治生態学を研究する男性(39)は、母国では「日本の占領に関する史跡などを見ることが少なかった」と話す。近年、ミャンマーでは日本に対してODAなどの印象のほうが強く、若い世代が歴史を知る機会が減っているように感じるという。「好き、嫌いといった感情とは関係なく、ミャンマーの歴史の一部でもある場所に実際に訪れることができてよかったです」

10:15

超党派の議員連盟、靖国参拝

 超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・逢沢一郎元外務副大臣)に所属する衆参議員らが、東京・九段北の靖国神社に集団で参拝した。議連によると、秘書による代理を含めて約90人が参拝した。

 逢沢氏は参拝後の記者会見で「改めて戦争の悲惨さ、平和の尊さを政治家として心に刻み、今後も国政の場で世界の平和と安定のためにそれぞれ努力する誓いを立てた」と説明。議連の所属議員は全員が戦後生まれになったとして、「戦争の記録や記憶を決して風化させず、史実をしっかりと次の世代に語り継いでいく」とも述べた。

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靖国神社を参拝する国会議員ら=2025年8月15日午前10時13分、東京都千代田区、金居達朗撮影

10:00

89歳男性、続く戦争に「人類は進歩しませんね」

 千鳥ケ淵戦没者墓苑には絶えず参列客が訪れ、花を手向けていく。

 法要に参加していた東京都江東区の男性(89)は、「戦争で亡くなった方々に、同じ日本人として手を合わせるべきだと思いまして」と話した。以前は終戦記念日には靖国神社と千鳥ケ淵を回っていたが、「靖国がA級戦犯を合祀(ごうし)してから、千鳥ケ淵だけにした。戦中世代だから、A級戦犯にはどうにも抵抗がある」という。

 東京・浅草の出身で、戦争末期に縁故疎開で茨城・日立へ。その後福島・二本松に疎開して玉音放送を聞いたという。東京大空襲で亡くなった地元の友人も何人かいるし、中には遺体が見つからなかった者も。「日立では空襲も艦砲射撃もあった。そういう経験者も少なくなりました」

 今も戦火が絶えないことを嘆く。「ロシアでも中東でも、なぜ戦争はくり返されるのか。つくづく、人類は進歩しませんね」と話した。

08:00

「語り継ぐ責任感じる」平和の祈りを捧げる集まりで

 東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で平和の祈りを捧げるキリスト教徒の集まりの中にいた北原恵美さん(77)は「世界中で戦争が起きている戦後80年の夏、一人ひとりができることを確認しにきた」と語った。

【動画】千鳥ヶ淵戦没者墓苑で黙祷をする人たち=友永翔大撮影

 両親は旧満州(現中国東北部)からの引き揚げ者だった。満州で徴兵されたという父は、戦争経験を多くは語らなかったが、2016年に98歳で亡くなるまでの最後の10年間で思い出を話し始めたという。ソ連軍の捕虜になり、部隊の仲間26人で夜陰に紛れて辛くも脱走。「ボロ雑巾のようになって家族の元へ戻った。地獄の中の奇跡だった」と話した。妊娠中だった母は、帰国する船の中で流産したそうだ。

 「両親の経験は、本当に苦しかったと思う。でも同時に、戦後世代の私は彼らの侵略者・加害者としての側面も感じざるを得ませんでした」。両親が亡くなったいま、「経験を聞き書きしておかなかったことが本当に残念」と悔やむ。3人の子ども、5人の孫に、戦争経験をほとんど伝えられていないと話す。「戦争経験者が減り、最近の社会の雰囲気が変わっていく危機感がある。いま本当に、語り継ぐ責任をしみじみ感じています」

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千鳥ケ淵戦没者墓苑へ献花に訪れた人たち=2025年8月15日午前11時46分、東京都千代田区、友永翔大撮影

07:55

小泉農水相、小林鷹之氏ら靖国神社参拝

 小泉進次郎農林水産相は、東京・九段北の靖国神社に参拝した。約15分かけて参拝したが、記者団の取材には応じなかった。その後、自民党の小林鷹之元経済安全保障相や萩生田光一元政調会長らも参拝した。

 小林氏は記者団の取材に、「祖父が中国で戦死し、遺族の一人として参拝した。尊い犠牲になられたご英霊に対し、心から哀悼の誠を捧げた。国、国民、そして平和を守り抜くために全力を尽くす覚悟を新たにした」と述べた。衆院議員の肩書で、私費で玉串料を納めたという。

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靖国神社を参拝する小泉進次郎農水相=2025年8月15日午前7時53分、東京都千代田区、金居達朗撮影
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靖国神社を参拝し取材に応じる小林鷹之・元経済安保相=2025年8月15日午前8時5分、東京都千代田区、金居達朗撮影

07:00

「考え続けたい」

 身元の分からない戦没者ら約37万人の遺骨が眠る東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑では、午前7時の開門を前に、30人近い参拝者が列をつくった。

 並んでいた都内の女性(70)は、靖国神社を参拝した後に訪れた。約20年間、終戦の日の参拝を続けている。1923年生まれの父は、日本軍の工兵として千葉県で終戦を迎えた。戦後、「級友6人が戦死した」「あと1カ月終戦が遅ければ、本土でも戦闘が始まり、死んでいたかもしれない」などと語ったことがある。

 親を通して戦争が身近にあったという女性は、「本当に大変な思いをされた方々がいたことを考え続けたい」と話し、納骨堂の前で手を合わせた。

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千鳥ケ淵戦没者墓苑で献花し、手を合わせる人たち=2025年8月15日午前8時55分、東京都千代田区、友永翔大撮影

06:00

開門前から300人の列

 東京・九段の靖国神社が開門した。開門前から300人以上の参拝者の長い列ができた。

 最前列に並んでいた福島県の会社員男性(53)は昨年に続いて靖国神社で手を合わせた。祖父は中国などで従軍したが詳しく戦争体験を聞けなかった。2年前に鹿児島県南九州市の「知覧特攻平和会館」を訪れて以来、各地の戦跡や戦争関連の資料館に足を運ぶ。

 「残された世代ができるのは過去に学ぶこと。資料や映像を通じ、戦争を繰り返さぬよう教訓を引き出したい」と話した。

【動画】戦後80年の終戦の日 早朝の靖国神社の様子=金居達朗撮影

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80回目の終戦の日を迎え、靖国神社を参拝する人たち=2025年8月15日午前7時34分、東京都千代田区、金居達朗撮影

■■全国戦没者追悼式■■

12:18

「今こそ、平和の尊さ訴えること求められている」

 戦没者遺族代表の江田肇さん(82)が追悼の辞で「戦後の厳しさを体験している我が国は、今こそ、争いのむなしさ、復興の難しさ、平和の尊さを世界へ訴えることが求められていると感じています」と述べた。

 江田さんが2歳のとき、31歳の父は朝鮮で終戦を迎えた。飛び乗った引き揚げ船が朝鮮海峡で機雷に接触、沈没し亡くなったという。

 「生きて終戦を迎え、家族と共に将来の夢や希望を抱いていた父の無念さは計り知れません」

  • 【遺族代表追悼の辞全文】「世界では今なお多くの犠牲」戦没者追悼式
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全国戦没者追悼式で黙禱(もくとう)する参列者ら=2025年8月15日午後0時、東京都千代田区、内田光撮影

12:03

天皇陛下「深い反省」に触れる

 天皇陛下は15日、日本武道館(東京都千代田区)で開かれた政府主催の全国戦没者追悼式に出席。おことばで、これまで同様に「深い反省」に触れ、「再び戦争の惨禍が繰り返されぬこと」を切に願うと述べた。また、「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ」とこれまでにない表現を盛り込み、皆が平和を希求し続けていくことを願った。

  • 天皇陛下、戦後80年のおことばに「語り継ぎ」 次世代へ込めた願い
  • 【天皇陛下おことば全文】「惨禍繰り返されぬこと願う」戦没者追悼式
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全国戦没者追悼式で、おことばを述べる天皇陛下=2025年8月15日午後0時1分、東京都千代田区、上田幸一撮影

11:50

石破首相「進む道を二度と間違えない」

 石破茂首相は東京都千代田区の日本武道館で開かれた政府主催の全国戦没者追悼式に出席し、式辞で「今では戦争を知らない世代が大多数となった。戦争の惨禍を決して繰り返さない。進む道を二度と間違えない」と述べた。そのうえで「あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばならない」と訴えた。

 近年の追悼式では、2013年の安倍晋三首相(当時)の式辞から「反省」という言葉は使われなくなった。「歴史の教訓を深く胸に刻み」などとする表現が用いられてきたが、今回、13年ぶりに「反省」が復活した。

 石破首相は「悲痛な戦争の記憶と不戦に対する決然たる誓いを世代を超えて継承し、恒久平和への行動を貫く」とも述べた。

  • 石破首相「反省」、戦没者追悼式の式辞で 強い思いで13年ぶり復活

 首相は靖国神社への参拝は見送り、自民党総裁として私費で玉串料を納めた。

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全国戦没者追悼式で、式辞を述べる石破茂首相=2025年8月15日午前11時55分、東京都千代田区、上田幸一撮影

11:50

参列者、初めて戦後生まれが過半数に

 政府主催の全国戦没者追悼式が、東京都の日本武道館で始まった。天皇、皇后両陛下、石破茂首相らが出席し、厚生労働省によると、47都道府県から3432人の遺族が参列する見込み。

 参列予定の遺族のうち、85歳以上の人は12.8%。戦没者の親や配偶者はおらず、子が1304人(38.0%)、孫が557人(16.2%)。戦後生まれが初めて過半数の53.2%に上り、過去最多になる見通しだ。

【動画】全国戦没者追悼式 武道館に入る参列者=内田光撮影

■■全国各地で■■

12:35

万博のパビリオン前に「平和の鐘」

 大阪・関西万博(大阪市此花区)の国連パビリオンの出入り口に平和の鐘が置かれた。ニューヨーク国連本部にある「日本の平和の鐘」のミニチュア版だ。

 通常は鐘をパビリオン内に置いてあるが、終戦の日に合わせて、できるだけ多くの人と広く平和への思いを新たにできれば、と正午から1時間、出入り口に設置した。万博会場では鐘の音に誘われて、通り過ぎる人たちが次々と鐘を鳴らした。

 大阪府吹田市から子どもと3人で訪れた40代女性は「鐘の音であらためて終戦の日のことを心に刻むことができた。子どもにもこの日のことを伝えるいいきっかけになりました」と話した。

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大阪・関西万博の国連パビリオン前に置かれた平和の鐘を鳴らして祈る来場者=2025年8月15日午後0時35分、大阪市此花区、佐藤慈子撮影

12:00

父を亡くした大阪の男性「戦死者、何が名誉か」

 戦争で父を亡くした水谷勇さん(86)は、全国戦没者追悼式の中継を大阪府豊中市の自宅でテレビから見守った。

  • 戦死した父の遺言「教育をして一人前に」 戦後80年にはせる思い

 80年前のあの日の暑さ、セミの鳴き声、祖母の「戦争は終わったみたい」という言葉が思い出された。父の勇三さんは1941年12月23日、中国・海南島で戦闘の末、死亡。33歳だった。戦死者が出た家は「名誉の家」とされたが、親のいない苦労の戦後を振り返れば「何が名誉か」と憤りがこみ上げる。

 水谷さんは「私は大の平和主義者です。でも、どうしたらええという回答があるわけじゃない。若い人らはどう考えるねんと聞いてみたい」。

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全国戦没者追悼式の中継を見ながら、手を合わせる水谷勇さん。テレビの下の写真は、戦死した父の勇三さん=2025年8月15日午後0時3分、大阪府豊中市岡町北1丁目、花房吾早子撮影

12:00

千葉・熊谷知事「平和はもろく崩れやすい」

 日清戦争以降の戦没者5万7248人の名簿が納められている千葉県忠霊塔(千葉市中央区)では県主催の追悼式があり、遺族や熊谷俊人知事ら約50人が参列。正午に黙禱(もくとう)を捧げた後、献花をし、戦没者を追悼した。

 熊谷知事は式後、「80年という大きな節目で、改めて先の戦争のような惨禍を繰り返してはならないと思った。平和はもろく崩れやすいもので、先の戦争の記憶を語り継いでいくこと、一人ひとりが行動に移していくことが大事だと思う」と述べた。県遺族会の小林喜久男会長(78)は、来月に小学校での語り部活動を予定しているといい、「皆様方にお話しして、その子どもがまた他の子どもに伝える、そしてまた親にも伝える、そういう場を広げていきたい」と話した。

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献花をする千葉県遺族会の会員ら=2025年8月15日午後0時9分、千葉市中央区、伊藤未来撮影

12:00

小池都知事「語り継いでいくことは重要な使命」

 東京都文京区の文京シビックホールでは東京都戦没者追悼式が開かれ、参列した遺族らが黙禱(もくとう)を捧げた。

 登壇した小池百合子知事は式辞で、「今年は終戦から80年の節目の年。国民の多くが戦争を経験したことのない世代となった今、先人が歩んだ苦難の歴史を振り返り、平和の尊さを次の世代へと語り継いでいくことは私たちの重要な使命」と式辞を述べた。

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東京都戦没者追悼式で式辞を述べる小池百合子知事=2025年8月15日午前11時58分、東京都文京区春日1丁目、浅沼愛撮影

12:00

甲子園球場でも黙禱

 第107回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)が開かれている阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)では、戦争で犠牲になった人たちを悼んで、選手や観客が黙禱(もくとう)を捧げた。

 朝から多くの観客が詰めかけ、熱戦に大きな声援をおくった。正午を迎えたのは第2試合、2回戦の西日本短大付(福岡)―聖隷クリストファー(静岡)の試合前。サイレンの音が響くなか、選手や観客が立って脱帽し、約40秒間、静かに目を閉じた。

 選手権大会は、戦争の影響で1941年は全国大会が開かれず、42~45年の4年間は中断された。

 阪神甲子園球場では正午にサイレンが鳴り響くと、三塁側応援席の聖隷クリストファー(静岡)の生徒たちが帽子を取って目を閉じ、黙禱(もくとう)した。

 聖隷クリストファーの応援団長、石川皓大さん(3年)は「自分の曽祖父も戦争経験者と聞いている。今の生活があるのは当たり前じゃないということを忘れず、戦争から目をそむけず、先祖にも感謝して生きていきたい」と話した。

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正午にサイレンが鳴り響くと、三塁側応援席の静岡代表・聖隷クリストファーの生徒たちは、帽子を取って目を閉じ、黙禱(もくとう)した=2025年8月15日、阪神甲子園球場、滝沢貴大撮影
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阪神甲子園球場で黙禱(もくとう)をする聖隷クリストファー高校(静岡)の選手たち=2025年8月15日正午、有元愛美子撮影
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阪神甲子園球場で黙禱(もくとう)をする人たち=2025年8月15日正午、有元愛美子撮影

10:45

続く軍事侵攻 万博でウクライナの様子を

 大阪・関西万博のウクライナパビリオンでは、現在も続くロシアによる軍事侵攻のなかで生きる、現地の人々の様子を動画で伝える展示が並んでいる。展示物のバーコードを専用の端末で読み取ると動画が流れる仕組みで、訪れた人たちは熱心に見入っていた。

 愛知県から父親と一緒に訪れた小学6年の男子児童(12)は、終戦から80年を迎えたことについて「戦争は人の命を奪うことになる。絶対にやってはいけないことなんだなと思った」と話した。

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大阪・関西万博に出展しているウクライナのパビリオン=2025年8月15日午前10時38分、大阪市此花区、野平悠一撮影

10:15

「大戦前の自国ファーストの機運が芽生えつつある」

 公明党の斉藤鉄夫代表は東京都豊島区の池袋駅前で街頭演説を行い、「先の大戦の前に起こっていたような自国ファーストの機運が世界に芽生えつつある」と危機感を示した。そのうえで「対話による交流こそ、紛争を防ぎ、戦争を起こさない第一歩だ」と訴えた。

 斉藤氏は「先の大戦は明らかに日本の侵略戦争だ」とし、「その反省の上に立って、平和国家を築き上げる努力を公明党はしてきた」と強調。「あの苦しみを直接体験した方が生きていらっしゃる間に、核兵器のない世界平和をつくっていくことを宣言したい」と訴えた。

10:00

「核ない未来めざし声を上げ続けていきましょう」

 広島市中区の平和記念公園では、原爆や戦争で亡くなった人々を慰霊し、戦争のない世界の実現を願って「平和の鐘」をつく行事があった。主催する広島ユネスコ協会の会員や高校生らが参加した。

 広島大付属高校1年の河田実桜さんは「戦争で苦しんだ人々の思いを忘れてはいけません。その思いを伝えていくことが、私たちの使命ではないでしょうか」とスピーチ。高校生平和大使のノートルダム清心高校2年の下田梨央さんは「私たち若者が、被爆者の思いを引き継ぎ、核のない未来をめざして声を上げ続けていきましょう」と訴えた。

 参加者は黙禱(もくとう)後、次々と鐘を鳴らしていった。

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恒久平和を願い、高校生が「平和の鐘」を鳴らした=2025年8月15日午前10時26分、広島市中区の平和記念公園、柳川迅撮影

■■世界で■■

12:00

フィリピンで慰霊祭、初めて比政府から出席

 太平洋戦争の海外戦地として最多の日本人死者を出したフィリピンで15日、戦没者慰霊祭が開かれた。遠藤和也駐フィリピン日本大使は「日本と米比間の戦闘で犠牲となった数多くの人々や家族の苦悩と悲しみを、日本人は決して忘れてはならない」と述べた。

 フィリピンは日米両軍の激戦地となり、首都マニラなど全土で日本人約52万人、フィリピン人約111万人が犠牲になったとされる。慰霊祭はラグナ州のカリラヤ日本人戦没者慰霊園で日本大使館が毎年開いているが、戦後80年をへて初めてフィリピン政府関係者が出席した。マルコス大統領が「戦争の教訓は、戦争を断固として拒否し、平和や人間の尊厳を守るため、永続的な友情を追求し続けるという我々の社会の基本であり続ける」とのメッセージを寄せた。

10:30

韓国・李大統領「過去を直視し、未来に進む知恵を」

 韓国の李在明(イジェミョン)大統領が日本の植民地支配からの解放を記念する「光復節」の式典で演説し、日韓関係について「過去を直視しつつ、未来に進む知恵を発揮しなければならない時だ」と述べた。

 李氏は「日本との関係を確立する問題は常に重要で難しい課題だった」とし、依然として過去の問題で苦痛を受けている人たちがいると指摘した。一方で日本は隣人であり、経済発展において切り離せない重要なパートナーだとも指摘。「両国が信頼を基盤に未来のために協力するとき、時代の挑戦も十分に乗り越えられるだろう」とした。

 そのうえで、日本と未来志向的な協力の道を模索していくとしたが、「日本政府が過去の痛ましい歴史を直視し、両国間の信頼が損なわれることがないよう努力してくれるものと期待する」と釘も刺した。

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